2008年08月31日(日) 記事No.278
自分史、小学生編です。

俺の人生の、不幸の始まり編を、とくとお楽しみください。

小学生編

1994年4月(6歳)
幼稚園を卒園し、小学校へと入学した。


1994年〜1996年 小学校低学年(6歳〜8歳)
うちは、春休みや夏休み、冬休みなどの大きな休みの時は
毎回母親の実家である群馬へと行くこととなっていた。
群馬には、祖父と母方の伯父二人と、従兄弟が二人いた。
伯父のうちの片方は、子供好きだったのか、よく遊んでもらった覚えがある。

また、夏には海、冬にはスキーなど、家族でよく遊びに行った。

小学生の頃から俺は、エロガキだった。
子供のキャンプツアーにいけば、スタッフのお姉さんの、
首元から服に手突っ込んで、胸を触ってみたり
妹の友達の家に、一緒に遊びに行ったときに
妹の友達の姉(俺の1つ年上)のトイレのドアを開けようとしたりしていた記憶がある。

また、学校での俺はやんちゃだった。
小1の頃、経緯は覚えてないのだが、ある女子生徒の目のすぐ近くに、えんぴつをつき立てたことや
小2の頃、友達数人で、転校してきたばかりの女子生徒へと石を投げて遊んでいたところ、たまたま俺が投げた石が頭にぶつかり、頭を縫う、けがをさせたこともある。
通算3回かな?2回かも知れない。
給食時間中に、もめて
キレて給食の食管を生徒に投げつけた事もある。

『キレると何をするか分からない子』
という印象が強かったかな。
もっとも、普段からやさぐれていたわけではなく
普段は、自分で言うのもなんだが、どちらかといえば優しい子だったと思う。

また、習い事として、ピアノと水泳をやっていた。
このどちらも中学2年まで続けたが
ピアノの方は、後半、いやいややっていた。という感じで、まったく上達の気配はなかった。



1996年〜1998年 小学校中学年(8歳〜10歳)
それまで、仲のよかった家族関係に、ひびが入る事となる。
母はよく、父親の悪口を言っていたし
その頃から、母は働き始めた。

父親は夜はなかなか帰ってこず俺や母、妹が寝た後に帰ってきていたりした。
朝は遅くまで寝ていて、母親が仕事にいった後に起きてきていた。
いつ聞いたかは覚えていないが、母親と顔を合わせたくないから。という理由だった。

顔を合わせれば、よく喧嘩をしていた。
子供ながらに、俺はそれを利用していたところもあった。
父親に怒られれば、母親に泣きつけば、いつのまにか母親と父親の喧嘩に発展し、矛先が変わる。
母親に怒られればその逆だった。

また、母親はたまに、寝るときに布団の中で泣いていたりもした。
一度、自殺をしようとしたことがあるという話を、小学生の頃聞いたことがある。
睡眠薬を大量に摂取し、自殺をしようとしたが、結局死ねなかったらしい。

離婚しない理由は、離婚の際の親権(親の権利。子供をどちらが引き取るか)の問題で裁判をしていて、それが長引いていたからだった。
スキーや海も、行くとしても母親と3人で だった。

父親と母親、別れたらどっちと一緒に住みたい?
そんな質問をされたこともある。
どっちも一緒が一番いいけど、どっちか選べと言われたら、母。と答えてた。

また、小3の6月に俺は、自転車で遊びに行っている途中、車にはねられて入院した。
足がぱっかり開き、骨が折れていて
頭も少し打っていた。
一ヶ月の入院とその後一ヶ月のリハビリで関知した。


1998年〜2000年 小学校高学年(10歳〜12歳)
裁判の決着がついたのは、多分俺が小5のときだ。
もしかしたら小4かも知れない。
母親は、一人で家を去ることとなった。

と、言っても、住んでいたのは元の家から1キロほど山を登った場所だった。
2週間に1回の土日に会うことが約束され
月2回は妹と二人で、母親の家へと泊まりに行っていた。

また、離婚祝いと賞してパソコンの一台を買ってもらった。
が、しかし後で知った話だが、このお金は、俺の小さい頃から(強制的に)貯金していた、お年玉から出ていたらしい。ちなみに、交通事故にあったときに降りた保険も、同じ口座に入っている。
その後もこの口座の貯金はすべて父親が使い込んでしまった。

パソコンを手に入れたことにより、小6の頃にはインターネットで、チャットをするようになった。
この頃から水ポケ本舗(2004年閉鎖)というサイトをよく覗いており
掲示板を荒らし、一時掲示板利用不可になったことも(ぁ
サイトのコンテンツの1つ、水ポケチャット(これのみ、管理人が移動し、今も運営中。ただしかなり過疎っている。)には、発言数ランキングという機能があり
(荒らしの原因となるので、ある日消えましたが)そのランキングでも3位をキープしていた。
当事のハンドルネームは、ポケモンカード関係のキャラクターにして関係者「イマクニ?」を元ネタにした
「今国?」でやっていた。
ちなみに2位はハンドルネーム「かめるん」
当事中学生の男の子。コーヒーが好きだった。
1位は、ハンドルネームは忘れたが
当事高校生か大学生くらいのおねぇさん
よくおばちゃんおばちゃん。といってからかった覚えがある。

当事の俺を知るものがいたら、一報くれるとうれしいかも。

また、ぴちゅぅちゃっとこと通称ぴちゅちゃにもよく顔を出していた。
水ポケちゃっともぴちゅちゃもBBSがあるが、管理人放置状態なので、あまり触れないほうがいいだろう。

父親は週に1度は、俺と妹を祖母に任せ、出張と言って一晩帰ってこなかったので
徹夜でチャットに明け暮れた日も、少なくない。

父親は暴力的であった。
頭に血が上れば
よく俺の胸倉をつかみ、投げ飛ばされたことが何度もある。
その衝撃で、何枚もTシャツがやぶかれた。
吹っ飛んでは、「立て」と言われ立たされ
立つと再び殴って吹っ飛ばされる。

それでも、反抗的な態度を変えない、俺も俺なのだが・・・


また、小6になると、父親が再婚の話をちら付かせ始めた。
俺は今の生活に満足していたので、再婚は反対だった。
しかも再婚相手は俺と同い年の男の子が1人、1個上の男の子が1人
さらにその2つ上に、もう一人男の子がいるという。
不安はでかかった。
しかし、父親は再婚する気まんまんで
「お前、兄貴欲しいって言ってたろ?」などと言っていた。
それはそういう意味ではないのに・・・。
新しい家を建てる。などという話も
よく祖父、祖母としていた。
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