2006年12月23日(土) 記事No.45
さて、読み終えた「涼宮ハルヒの憂鬱」の感想でも書こうと思う。
その前に、軽く「涼宮ハルヒの憂鬱」が一体どういった書物であるかを簡単に説明しておこう
涼宮ハルヒの憂鬱は、一言で言えばライトノベル。
涼宮ハルヒシリーズの記念すべき第一作目だ。
なんでも、角川スニーカー主催スニーカー大賞の第八回スニーカー大賞の<大賞>に選ばれた作品らしい。
なんでも、過去8回のスニーカー大賞のうち、<大賞>を受賞したのはこの作者が3人目だとか。
さて、そんな表向きな説明はどうでもいい。
問題は中身だろう。
物語はキョンという一人の超一般的高校生の視点で描かれている。(ちなみにこやつの本名は最後まで出てこない。)
始まりは高校一年生の春からだ。
初日の自己紹介で、キョンの後ろの席にいるかわいい女の子が「東中学出身 涼宮 ハルヒ。ただの人間には興味ありません。 この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」と言い放った。
これが始まりだ。
断っておくが、この記事でだらだらとこの話のあらすじを書く気はもうとうない。
知りたきゃ読め。それだけだ。
以下、長文となるので「続きを読む」で。
さて、この作品の感想を、いいところ、悪いところに分けて書いてみようと思う。
一般的な人間は、「どちらが先に聞きたい?」と聞くと、「いいところ」と答える人が多いみたいだ。なぜかは知らん。調べる気もない。
というわけで、あえて悪いところから突っ込んでいこうと思う。
先に断っておくが、僕個人の感想だ。読者全体の感想ではないし、これは僕の意見だ。他人がなんて思おうが知ったこっちゃない。
さて・・・まず、盛り上がりに欠ける。
確かに、途中途中に盛り上がるところはあるのだが、大きく盛り上がったポイントがない。
短編の積み重ねで、一作一作に盛り上がりがあるのなら分かる。
だがこれは長編だ。
本一冊で一話なのだ。
「最後の山場」にもう少しインパクトが欲しかった。
もっとも、先にアニメを見ていたので、そのインパクトが薄かっただけ。という可能性もあるのだが。
そして、結局なんだったのだ?という疑問が残る。
この作品のポイントは途中でハルヒのセリフにある
「あたしなんてあの球場にいた人ごみの中のたった一人でしかなくて、あれだけたくさんに思えた球場の人たちも実は一つかみでしかないんだってね。それまであたしは自分がどこか特別な人間のように思ってた。家族といるのも楽しかったし、なにより自分が通う学校の自分のクラスは世界のどこよりも面白い人間が集まっていると思っていたのよ。でも、そうじゃないんだって、その時気付いた。あたしが世界で一番楽しいと思っているクラスの出来事も、こんなの日本のどこの学校でもありふれたものでしかないんだ。日本全国のすべての人間から見たら普通の出来事でしかない。そう気付いたとき、あたしは急にあたしの周りの世界が色あせたみたいに感じた。夜、歯を磨いて寝るのも、朝起きて朝ごはんを食べるのも、どこにでもある、みんながみんなやっている普通の日常なんだと思うと途端に何もかもがつまらなくなった。そして、世の中にこれだけ人がいたら、その中にはちっとも普通じゃなく面白い人生を送っている人もいるんだ、そうに違いないと思ったの。それがあたしじゃないのは何故?小学校を卒業するまで、あたしはずっとそんなことを考えてた。考えていたら思いついたわ。面白いことは待っていてもやってこないんだってね。中学に入ったら、あたしは自分を変えてやろうと思った。待ってるだけの女じゃないことを世界に訴えようと思ったの。」
長!まあいいや。
とにかくこれが「ハルヒ」の原点だ。
で、この作品はこれにのっとってハルヒは高校に入り、無事宇宙人、未来人、超能力者と出会うことができ、共に戦う話。ではないのだ。
最後までハルヒは「彼ら」の正体に気づくことなくすごしてしまう。
で、さらにハルヒの持つ不思議な力のせいで周り(というか、キョン)が振り回される話。なのだ。
単純に話を読んでるだけでは気づかないかもしれないが、ふと考えたときに
「結局この作品、何がいいたいんだ?」と思ってしまう。
う~。うまく言語で説明できないが・・・。
読み終わったあと、考えてみると、「キョン、お疲れ様」で終わってしまうのだ。
どんな話で、どういうところが面白いの?と聞かれると、少し説明に戸惑う作品だ。
さて、いい加減いいところも言ってあげなければ、ハルヒファンに電柱の影から狙われ、車の窓から射殺される。
先に書いたように、この作品にはだらだら感が少しある。
スピードが遅いとか、そういうのではなく、盛り上がりが。といういみだ。
けれど、それがあっても読者を退屈させない工夫がある。
すなわち、作品がキョンの一人称であること。だ。
話が一人称であり、なおかつその中心人物がノリのいい人物となることで、話に「ノリ」が出る。
一文参照として抜き出そう。
しかしどこを抜こう。
ここがいいな。
ハルヒの自己紹介が終わったあたりだ。
これってギャグなの?
おそらく全員の頭にどういうリアクションを取ればいいのか疑問符が浮かんでいたことだろう。「ここ、笑うとこ?」
結果から言うと、それはギャグでも笑いどころでもなかった。涼宮ハルヒは、いつだろうがどこだろうが冗談などは言わない。
常に大マジなのだ。
のちに身をもってそのことを知った俺が言うんだから間違いない。
沈黙の妖精が三十秒ほど教室を飛び回り、やがて体育教師岡部がためらいがちに次の生徒を指名して、白くなっていた空気はようやく正常化した。
こうして俺たちは出会っちまった。
しみじみ思う。偶然だと信じたい、と。
うん。ノリがいい。
たとえもうまい。
これが、この作品の最大の魅力のように僕は思う。
作者の文章表現がうまいのだ。
僕にはまねできん。
見習って、少しブログの書き方を変えてみたはいるが。
涼宮ハルヒシリーズが成功した背景には、アニメが密接に関わってると思う。
アニメが成功した理由はネット社会が密接に関わっているらしいのだが、それは僕の意見ではなく人様の意見。
知りたきゃ検索でもなんでもしてみりゃ出てくる。
さて、このアニメだが、製作は京都アニメーション。
AIRやフルメタルパニックなどが代表的なところだ。
このアニメスタッフたちが凝っている。
アニメの中に、その他のアニメ、漫画ネタが豊富に含まれているのだ。
しかも、作品の雰囲気を壊さない程度のさりげないものばかり。
背景であったり、次回予告のちょっとしたセリフであったり。
あるワンシーンのキャラの動き方であったり。
具体的に一つあげるとするならば、「涼宮ハルヒの憂鬱」のキャラクターの一人「長門 有希(ながと ゆき)」アニメの中の彼女は、小説を読んでいるカットがやたらと多い。
その小説の(多分)すべてが、実際に存在する小説なのだ。
細かいカットで書かれているちょっとした本でも、実在する本。
しかも、出てくる本のあらすじとその話のあらすじがどこか関連したものになっている。
余談だが、それをいちいち調べた人がネット上には存在するから驚きだ。
さて、なぜこれが人気につながるかというと、
世の中には、こういう隠し要素大好き人間が以外にいるからだ。
僕もそのうちの一人で、なにか隠し要素があるだけで、意味もなく「すげぇ!」と思ってしまうからである。
もちろん、これだけが成功の秘密ではない。
一番目に見える、工夫のポイントは、なんと言っても放送順のシャッフルだろう。
アニメを見たことある人なら、知っているだろうけど、アニメのハルヒは放送順がばらばらなのだ。
アニメの第一話は、登場人物の紹介もなしに、唐突に始まる。
どうも番外編扱いのようだ。
そして2話目が事実上の第一話。
入学初日から始まる。
そこから普通の流れで物語が進むかと思ったら大間違いで、時折再び順番のシャッフルが起こる。
ひどいときには前後編の真ん中に別の話がぽつんと入ってみたり。
DVD版では、しっかり時系列順に並べ替えられるらしいが・・・。
ファンにとってただの確認作業でしかないと思われるアニメを、飽きさせないための工夫だそうだ。
しかしこれがまた、ネタ好きの心を揺さぶる。
さらには公式HPだ。
アニメ・小説でハルヒの作ったSOS団の公式HPが出てくるのだが、現実でもアニメスタッフたちによってそのHPが作られる。
これがまた、アニメ内でそのHPに異変が起きると、そのHPも同じような異変が。
小説内でHPが消滅すると、現実世界でも、同じ日、HPが見れなくなる。しかも復活は小説内の時間にまで合わせてあるというこりよう。
よっぽど暇なんだなアニメスタッフ。
などと思うのが常だが、これもまた、ネタ好きの心を揺さぶる一手。
ちなみにこれがその公式HPである。
まったくわけわかめだ。
詳しくハルヒを知りたい人用に、左下にしっかりした説明ページへのリンクがある。
知りたきゃそっちを見るのがいいだろう。
そんなこんなが原因で、ハルヒの人気はうなぎのぼりに急上昇したのではないかと思われる。
ま、いまさらハルヒハルヒと騒いでいる僕は、まさに「結局ノストラダムスの予言ってなんだったの!?」って言っているやつのごとく、「今更」だったりするのだが。
ちなみに、いつの間には話が脱線してしまっていたりする。
もともと僕はハルヒの感想文を書こうと思っていたのではなかっただろうかと思い出した。
が、すでに手遅れ。
すでにこの大量に書いた文章を消す気にもなれず、はたまたこれ以上続けても読む気がうせるだけであろう。よって、この文章はもう少しで終了する。
結論から言おう。
涼宮ハルヒシリーズが成功した原因は
作者半分、アニメの監督・スタッフ半分といったところだろう。
アニメ第二部も放送されるらしい。
期待しているぞ。京都アニメーション。
次の製作、違う会社だったら笑うけど。

勝手に張っていいのだろうか。
その前に、軽く「涼宮ハルヒの憂鬱」が一体どういった書物であるかを簡単に説明しておこう
涼宮ハルヒの憂鬱は、一言で言えばライトノベル。
涼宮ハルヒシリーズの記念すべき第一作目だ。
なんでも、角川スニーカー主催スニーカー大賞の第八回スニーカー大賞の<大賞>に選ばれた作品らしい。
なんでも、過去8回のスニーカー大賞のうち、<大賞>を受賞したのはこの作者が3人目だとか。
さて、そんな表向きな説明はどうでもいい。
問題は中身だろう。
物語はキョンという一人の超一般的高校生の視点で描かれている。(ちなみにこやつの本名は最後まで出てこない。)
始まりは高校一年生の春からだ。
初日の自己紹介で、キョンの後ろの席にいるかわいい女の子が「東中学出身 涼宮 ハルヒ。ただの人間には興味ありません。 この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」と言い放った。
これが始まりだ。
断っておくが、この記事でだらだらとこの話のあらすじを書く気はもうとうない。
知りたきゃ読め。それだけだ。
以下、長文となるので「続きを読む」で。
さて、この作品の感想を、いいところ、悪いところに分けて書いてみようと思う。
一般的な人間は、「どちらが先に聞きたい?」と聞くと、「いいところ」と答える人が多いみたいだ。なぜかは知らん。調べる気もない。
というわけで、あえて悪いところから突っ込んでいこうと思う。
先に断っておくが、僕個人の感想だ。読者全体の感想ではないし、これは僕の意見だ。他人がなんて思おうが知ったこっちゃない。
さて・・・まず、盛り上がりに欠ける。
確かに、途中途中に盛り上がるところはあるのだが、大きく盛り上がったポイントがない。
短編の積み重ねで、一作一作に盛り上がりがあるのなら分かる。
だがこれは長編だ。
本一冊で一話なのだ。
「最後の山場」にもう少しインパクトが欲しかった。
もっとも、先にアニメを見ていたので、そのインパクトが薄かっただけ。という可能性もあるのだが。
そして、結局なんだったのだ?という疑問が残る。
この作品のポイントは途中でハルヒのセリフにある
「あたしなんてあの球場にいた人ごみの中のたった一人でしかなくて、あれだけたくさんに思えた球場の人たちも実は一つかみでしかないんだってね。それまであたしは自分がどこか特別な人間のように思ってた。家族といるのも楽しかったし、なにより自分が通う学校の自分のクラスは世界のどこよりも面白い人間が集まっていると思っていたのよ。でも、そうじゃないんだって、その時気付いた。あたしが世界で一番楽しいと思っているクラスの出来事も、こんなの日本のどこの学校でもありふれたものでしかないんだ。日本全国のすべての人間から見たら普通の出来事でしかない。そう気付いたとき、あたしは急にあたしの周りの世界が色あせたみたいに感じた。夜、歯を磨いて寝るのも、朝起きて朝ごはんを食べるのも、どこにでもある、みんながみんなやっている普通の日常なんだと思うと途端に何もかもがつまらなくなった。そして、世の中にこれだけ人がいたら、その中にはちっとも普通じゃなく面白い人生を送っている人もいるんだ、そうに違いないと思ったの。それがあたしじゃないのは何故?小学校を卒業するまで、あたしはずっとそんなことを考えてた。考えていたら思いついたわ。面白いことは待っていてもやってこないんだってね。中学に入ったら、あたしは自分を変えてやろうと思った。待ってるだけの女じゃないことを世界に訴えようと思ったの。」
長!まあいいや。
とにかくこれが「ハルヒ」の原点だ。
で、この作品はこれにのっとってハルヒは高校に入り、無事宇宙人、未来人、超能力者と出会うことができ、共に戦う話。ではないのだ。
最後までハルヒは「彼ら」の正体に気づくことなくすごしてしまう。
で、さらにハルヒの持つ不思議な力のせいで周り(というか、キョン)が振り回される話。なのだ。
単純に話を読んでるだけでは気づかないかもしれないが、ふと考えたときに
「結局この作品、何がいいたいんだ?」と思ってしまう。
う~。うまく言語で説明できないが・・・。
読み終わったあと、考えてみると、「キョン、お疲れ様」で終わってしまうのだ。
どんな話で、どういうところが面白いの?と聞かれると、少し説明に戸惑う作品だ。
さて、いい加減いいところも言ってあげなければ、ハルヒファンに電柱の影から狙われ、車の窓から射殺される。
先に書いたように、この作品にはだらだら感が少しある。
スピードが遅いとか、そういうのではなく、盛り上がりが。といういみだ。
けれど、それがあっても読者を退屈させない工夫がある。
すなわち、作品がキョンの一人称であること。だ。
話が一人称であり、なおかつその中心人物がノリのいい人物となることで、話に「ノリ」が出る。
一文参照として抜き出そう。
しかしどこを抜こう。
ここがいいな。
ハルヒの自己紹介が終わったあたりだ。
これってギャグなの?
おそらく全員の頭にどういうリアクションを取ればいいのか疑問符が浮かんでいたことだろう。「ここ、笑うとこ?」
結果から言うと、それはギャグでも笑いどころでもなかった。涼宮ハルヒは、いつだろうがどこだろうが冗談などは言わない。
常に大マジなのだ。
のちに身をもってそのことを知った俺が言うんだから間違いない。
沈黙の妖精が三十秒ほど教室を飛び回り、やがて体育教師岡部がためらいがちに次の生徒を指名して、白くなっていた空気はようやく正常化した。
こうして俺たちは出会っちまった。
しみじみ思う。偶然だと信じたい、と。
うん。ノリがいい。
たとえもうまい。
これが、この作品の最大の魅力のように僕は思う。
作者の文章表現がうまいのだ。
僕にはまねできん。
見習って、少しブログの書き方を変えてみたはいるが。
涼宮ハルヒシリーズが成功した背景には、アニメが密接に関わってると思う。
アニメが成功した理由はネット社会が密接に関わっているらしいのだが、それは僕の意見ではなく人様の意見。
知りたきゃ検索でもなんでもしてみりゃ出てくる。
さて、このアニメだが、製作は京都アニメーション。
AIRやフルメタルパニックなどが代表的なところだ。
このアニメスタッフたちが凝っている。
アニメの中に、その他のアニメ、漫画ネタが豊富に含まれているのだ。
しかも、作品の雰囲気を壊さない程度のさりげないものばかり。
背景であったり、次回予告のちょっとしたセリフであったり。
あるワンシーンのキャラの動き方であったり。
具体的に一つあげるとするならば、「涼宮ハルヒの憂鬱」のキャラクターの一人「長門 有希(ながと ゆき)」アニメの中の彼女は、小説を読んでいるカットがやたらと多い。
その小説の(多分)すべてが、実際に存在する小説なのだ。
細かいカットで書かれているちょっとした本でも、実在する本。
しかも、出てくる本のあらすじとその話のあらすじがどこか関連したものになっている。
余談だが、それをいちいち調べた人がネット上には存在するから驚きだ。
さて、なぜこれが人気につながるかというと、
世の中には、こういう隠し要素大好き人間が以外にいるからだ。
僕もそのうちの一人で、なにか隠し要素があるだけで、意味もなく「すげぇ!」と思ってしまうからである。
もちろん、これだけが成功の秘密ではない。
一番目に見える、工夫のポイントは、なんと言っても放送順のシャッフルだろう。
アニメを見たことある人なら、知っているだろうけど、アニメのハルヒは放送順がばらばらなのだ。
アニメの第一話は、登場人物の紹介もなしに、唐突に始まる。
どうも番外編扱いのようだ。
そして2話目が事実上の第一話。
入学初日から始まる。
そこから普通の流れで物語が進むかと思ったら大間違いで、時折再び順番のシャッフルが起こる。
ひどいときには前後編の真ん中に別の話がぽつんと入ってみたり。
DVD版では、しっかり時系列順に並べ替えられるらしいが・・・。
ファンにとってただの確認作業でしかないと思われるアニメを、飽きさせないための工夫だそうだ。
しかしこれがまた、ネタ好きの心を揺さぶる。
さらには公式HPだ。
アニメ・小説でハルヒの作ったSOS団の公式HPが出てくるのだが、現実でもアニメスタッフたちによってそのHPが作られる。
これがまた、アニメ内でそのHPに異変が起きると、そのHPも同じような異変が。
小説内でHPが消滅すると、現実世界でも、同じ日、HPが見れなくなる。しかも復活は小説内の時間にまで合わせてあるというこりよう。
よっぽど暇なんだなアニメスタッフ。
などと思うのが常だが、これもまた、ネタ好きの心を揺さぶる一手。
ちなみにこれがその公式HPである。
まったくわけわかめだ。
詳しくハルヒを知りたい人用に、左下にしっかりした説明ページへのリンクがある。
知りたきゃそっちを見るのがいいだろう。
そんなこんなが原因で、ハルヒの人気はうなぎのぼりに急上昇したのではないかと思われる。
ま、いまさらハルヒハルヒと騒いでいる僕は、まさに「結局ノストラダムスの予言ってなんだったの!?」って言っているやつのごとく、「今更」だったりするのだが。
ちなみに、いつの間には話が脱線してしまっていたりする。
もともと僕はハルヒの感想文を書こうと思っていたのではなかっただろうかと思い出した。
が、すでに手遅れ。
すでにこの大量に書いた文章を消す気にもなれず、はたまたこれ以上続けても読む気がうせるだけであろう。よって、この文章はもう少しで終了する。
結論から言おう。
涼宮ハルヒシリーズが成功した原因は
作者半分、アニメの監督・スタッフ半分といったところだろう。
アニメ第二部も放送されるらしい。
期待しているぞ。京都アニメーション。
次の製作、違う会社だったら笑うけど。

勝手に張っていいのだろうか。