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2009年12月29日(火) 記事No.734
感想。


ネタバレあり。

いや、むしろ見てないと分からない感想記事だな。

ちなみに俺は原作は見たことがないので、あくまで劇場版の話。
原作版「容疑者Xの献身」との差異は知らん。
中盤

すげー違和感ありありで見てた。
もし本当の数学者で、論理的思考のできる天才であるならば、「個人の幸せよりも全体の幸せを」という思考を持っているのが一般的。
容疑者に親しくなろうと近寄ってくる男性が現れれば、自分との関連を悟られないようにするため、
むしろその男性に近づき、親しくするべきだ。という指示を送るだろう。
しかし、ストーリーはその男と親しくすることは自分への裏切りである。
という流れになってて、え・・・?って思ってたけど
そこはやっぱりミスリード。
後半は数学者らしい展開に進んでいった。
「その男と一緒にいることは、二人が幸せになる確率を高める」
そんな感じのセリフが出たときに、あ、分かってるな。って思った。
後半はすげーニヤニヤしながら見れた。
殺人時刻が前日なのは、湯川と料理店?で食事しているときの会話で、勤務表の話と幾何の問題かと思ったら関数の問題だった。の話が出たあたりで気づいたけど、死体のすり替えトリックは思いつかなかった。

そして終盤。
完璧な偽装工作により、数学者は犯人の成り代わりに成功。
そのまま終われば最高の作品だったのに


最後の最後に駄作になりやがった。

あれはあのまま、あの女は、名乗り出ないまま終わるべきだった。
もし仮に、真犯人にたどり着くにしても、それは推理によってだ。

ミステリーにおいて、真犯人が自供して終わるほどどうしようもない終わり方はない。

あそこはほんとにいらなかった。
あの物語で、事件そのものを警察的に解決することに、どんな意味があったのだろうか。
なぜそこにこだわるのだろうか。
真相が全て分かって、関係者の間で事件が解決した地点で終わりでいいじゃないか。
ましてやあの過去の回想まであって、
なぜ誰も幸せにならないエンディングを用意する必要がある。

あの女もあの女だ。
なぜあそこで自供した。あそこでの自供は結局偽善でしかない。
作中でも言っていたがあそこで自供することによって、あの数学者の努力の全てが無駄となった。
犯した罪の全てが無駄となった。
中学生の娘のことも考えたら、普通はあそこで自供はできない。
作品としても微妙だし、リアリティにも欠ける。


さらに、ラストの湯川と女刑事(名前忘れた)の会話。
あそこも着地点が間違ってる。

ラストの会話で湯川は
「もし、数学者(名前忘れた)が人を好きになることがなければ、こんな事件を起こすこともなかっただろう・・・」という流れだったが
本来あそこに来るべき会話は
「数学者の最大の落ち度は、「あの女が自供してしまうことを考えていなかったこと」もしくは「自供しても逮捕されないように何かしらの手を打っていなかった」ことだろう・・・。」
という会話になるべきである。
数学者はほぼ完璧に事件を、トリックを作り上げた。
しかし最後の最後であの女が自供することが読めなかった。
あるいは自供する確率を認めながら、それを阻止する。または自供してもなんら問題がなくなる。という手を打たなかったことにある。
最後の最後で、数学者の計画に狂いが出たことになる。
本来論点にあげるとすればそこだろう。

なんであんなくだらない会話でしめたのか、さっぱり分からない。


くそう、久々に褒めれる作品だと思ったのに。
とはいえ、ミステリー部分というか、トリック部分だけで言えば、面白い作品だったけどね。

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